その二
徐再思と日本で再会したのは、裕子が中国の旅から戻って一ヶ月もたたないまだ冬のうちだった。
「藤堂さんですか。裕子さん、僕です。徐再思です、あの」
と言いかける言葉を裕子が引き継いだ。
「存じています。あの節はほんとうにありがとうございました」
「あなたからの手紙とけっこうな贈り物をありがとうございました。あれ以来発作もないようで安心しました。今僕は新宿のホテルに泊まっています。仕事の方はだいたい終わりましたので、一度お会いしたいのです。よかったら裕子さんのお母さんにもお姉さんにもみなさんにお会いしたいと思います」
徐は藤堂家の家族と徐家との写真を持ってきているというのだ。
「裕子さんのお父さんについてのお話も聞きたいですね。私の父は中国の政府の目から隠れて藤堂シェンション(先生)からいただいた手紙や物を持ち出しました。写真を隠して持ち出すのは一番危険だったのですが、命を賭けて持ち出したのです」
その写真を見せたいと言った。
裕子は西荻窪の家に徐を招いた。東京の地理にはわりあい詳しいということなので西荻窪の駅まで迎えに出た。
「よくおいで下さいました。その節はありがとうございました」
礼を言う裕子に徐は優しい目を向けて
「元気で何よりです」
と短く言った。裕子と並んで歩き出した徐の体から冬の風の匂いがした。それは病院の清潔な匂いを乗せていた。
「お父様は日本で再び活躍されたそうですねえ」
「はい、四年前七十歳で亡くなりましたが、亡くなるまで現役でした」
父は引き揚げた直後、皇居内にある印刷所に勤めた。正式な勤めであったかどうかは分からないが、知人の手伝いで乗馬クラブとか蛍雪時代等の書籍を作っていたのだと思う。裕子はそんな父に弁当を持って行ったこともあるし、皇居の中にあるプールで泳いだこともある。
その後父は独立して印刷工場をもったり、電電公社の子会社に引き抜かれたりして勤めた後、地方政治家になって議長在任中に亡くなった。
父のことを思いながら、裕子が徐再思の横顔を見上げたとき、そこには父のおもかげがはっきり浮かんでいた。
五人の子供を持つ父が無一文で引き揚げたことを考えると、終戦後の混乱と貧困の中でよくやってきたと思う。
優しさと厳しさをいつもかね持っている父の姿が今この徐再思に再現されているようで、裕子は再思に切ないような懐かしさを覚えていた。
再思とともに家に戻ると母や忍や忍の家族が歓迎の声をあげて玄関に出てきた。
「きょうは急な話だったので何も用意できませんが、一晩泊まっていってください。そうすれば餃子を作りますよ。中国の方が日本で餃子を食べるというのも変なことでしょうけれど、うちのは特別ですよ。ターピンも作りますからね」
母ははりきって言った。再思は挨拶や自己紹介が一通り終ると早速持ってきた戦前の中国での写真を見せた。
それは、母が写り、姉が写っていた。徐再思や再思の母が写っているものもあった。しかし、裕子が写っているものはなかった。
「私のはないのですね。初めからなかったのでしょうか」
裕子は少し哀しい思いがして言った。再思は言われて気がついたようで
「こどもの頃の写真ですからよく分かりませんけれど、裕子さんは写っていませんか」
と言いながら再び写真に目を移した。
裕子はたまらなく寂しい思いに襲われた。やはりそうだったのだ。分かっていた筈なのに。今更父の愛情や関心が自分に薄かったことを悲しむ必要はないのだ。
裕子が中学生だったころ、叔母の正子から言われたことがあった。
「見てごらん、お父様が裕子を抱いている写真は一つもないでしょう。お父様は裕子が生まれてくるのをとても嫌がっていたのよ。わけは裕子がもう少し大きくなったら話してあげるけど。裕子は姉さんも妹もとても可愛いのに、おまえだけがなぜか鬼子なのよね。でもそれだけじゃないの」
今考えれば叔母は、こどもに言うべきことではないことを
言ったと思う、裕子の心はひどく傷つけられのだった。
「さあ、もういいじゃないの。そんな古いことは。ね、明日は他の子たちも来ますので。喜びますよ。さっき電話をしましたら驚いていました。明日が楽しみですよ」
と、母は話をかわしたが、裕子は父の心に拘っていた。
「裕子が男だったらどんなに愉快な生き方ができたことだろう。きみの行動力と判断力はすばらしいよ」
という評価はしても、姉や妹に対するような温かい子煩悩な面は裕子に対して示すことはなかった。
「日本へ来ることはたびたびでしたが、こちらで知り合いのお宅に泊まるというようなことはありませんでした。とても
うれしいです。遠慮なく泊まらせていただきます」
その日再思は裕子の家に泊まった。
翌日朝食が済むと裕子は再思を井の頭公園に誘った。
「姉たちが来るのは午後になるでしょうし、日本の公園を案内しましょう。自転車には乗れますか」
「勿論ですよ。現在の中国では、自転車がいちばんの乗り物です。日本の自動車的感覚ですね」
そういえば先日裕子が訪れた中国では、無数の自転車が大きな道路を走っていた。しかも、夕方かなり暗くなってもすべての自転車が無灯で走っていた。自転車ばかりでなく車も
バスも無灯であった。電力の節約である。
二人はよく晴れた冷たい空気のなかを井の頭公園まで走った。坂道を下り西荻窪駅の踏み切りを越えて五日市街道を吉祥寺へ向かった。
三十分の行程を一息に公園まで走り、公園のいり口でようやく二人は顔を見合わせた。
裕子は走りながら考えていたのだ。父のことを。そのため
道に不慣れな再思のことを振り返りもしなかった。しかし彼は見事についてきていた。
「ごめんなさい。よくついてこれましたねえ。私ったら、先生が後からいらっしゃるのを忘れていました。ほんとうにごめんなさい」
「いいえ。でも、私はあなたの体が心配でした。無謀なことですよ。こんなことはいけません。あなたがそんなに心を奪われていることとは何なのでしょうと思いましたよ」
再思は自分を無視した裕子を責めることもなく言った。
裕子は再思の優しさに思わず涙ぐんでしまった。
「何か事情があるのでしょうけれど、命を粗末にする人は許せませんね」
医者であるからこその言葉であろうが、裕子は自分の屈折した心など誰かに理解してもらおうとは思わなかった。
「すみません。そうではないのですが。ごめんなさい」
ふたりは公園内に入った。自転車を駐輪場に止めると、池に向かって歩いた。
裕子はそのとき急に、ずっと昔に友人と見た光景を思い出した。
それは、裕子の家の隣に住むおじさんと知らない女性の姿
であった。
「見て。手をつないでいるよ。あの人。ほら裕子んちの隣のおじさんだよ。ほら、おばさんの頭がはげてきておかしな家
のおじさん」
今考えてみればおじさんの不倫だったのだ。
なぜ、今突然そんなことを思い出したのか。それも鮮明に
思い出していた。
「ここは、私が高校生の頃、まだ、医大に進む夢を見ていた
頃の教材探しの場所だったのです。生物部で解剖実験のための蛙やざりがにを取りに来ました」
「ほう、この池で捕まえたのですか。どうして医者の道を諦めたのですか」
「けっきょくは実力がなかったのです。いつまでも浪人をしていたら弟が進学できませんでしたから」
再思は笑って頷いた。
だが、裕子が医者への道を諦めた本当の理由は、ある日生物部の実験で小犬の解剖をした時に気を失ったことだった。患者の苦しみを救うため、優しい手術を施すことが裕子が医者になる目的だったのだ。こんな残酷なことを繰り返さなければならないなら、医者にはなりたくないと思った。
「ここはずいぶんファンタスティックな公園ですねえ。私の国の公園とはまったく違います」
「そうですねえ。昔とはまったく違います。メルヘンの世界ですね」
二人は中国でもヨーロッパでも見ることができない日本の公園を若者のように弾んだ気持ちで歩いていた。
「お昼はそこのレストランでしましょうか」
裕子はすぐ近くにトレンディな公園にしてはいかにもオールドファッション的なレストランがあるのを見つけて言った
「そうですね。空腹になりました。自転車できましたからね」
時計を見るとちょうど12時になるところであった。二人は店内に入り窓際にある席にどちらからともなく進んでいった。店内では一組のカップルがコーヒーを飲んでいた。
「どんなものがお好きですか。いつもどんなお食事なのですか」
裕子は自分でもおかしな質問だと思いながら言った。
「さあ、何でもたべますが。やはり日本食が多いですよ」
「あらそうなんですか。だって」
「巻き寿司なんかね」
「まあ、それなら夕食に私が作ってあげましょう」
「嬉しいですね。中には何が入りますか」
「かんぴょうに卵やきそれにピンクのでんぶです」
「それでは私の母が作っていたのと同じです」
再思は嬉しそうに言った。やはり彼の両親はかなりな親日派であったのだろう。
二人はサンドイッチと紅茶でかんたんに昼食を済ますと、
家に戻ることにした。
「あなたは少し不思議な人ですね」
再思は自転車を押して歩きながら言った。
「とても明るいときと、命など惜しくもないと開き直った暗い面が見えます」
裕子は再思の言葉に動揺したが、
「あら、そんな風に見えるんですか」
と軽く応えた。
「昔からそんなところがあるのですよ。でも、命を軽くみているのではないのです。逆に、命が大好きだからこそ、いちばん幸せなとき、人生最高の時に死んでしまいたいのです」
裕子はいつも口にしていることを再思に伝えただけだと思っていたのだが、裕子の言葉を聞いた再思は真剣な面持ちで言った。
「そういう心は好きではありません。生きていたくても・・
なんて普通のことは言いません。あなたには分かっている筈ですから。でも、どんなことがあったにせよ、死を望んで生きるなどとは神への冒涜です」
そのとき、裕子は自分の意思に反して不覚にも目を潤ませてしまった。再思は裕子の様子を見て強く言い過ぎたと思ったのか、黙って重そうに自転車をひいていた。
「裕子さん。一休みしませんか」
後ろから再思が声をかけた。
「そこの喫茶店で一休みしましょう」
ふりむいて自転車を降りた裕子に彼は自分も自転車を止めながら言った。再思はこけし屋の前で自転車を止めている。
「もうすぐ家なのですけれど、こけし屋もしばらくぶりですから入りましょうか」
言いながら裕子は店の裏手に再思を導いた。駐車場に駐輪すると二人は店に入った。
西荻窪駅の近くにあるこけし屋は、裕子が中学生時代にソフトクリームを食べた店だった。中間試験や期末試験、アチーブテストの後になると、その時の得点が高い方の者がクリームを奢るという賭けをして、たびたび裕子が払わされた。
「今度は私がご馳走しますね。裕子さん、ケーキは好きですか。私は紅茶とケーキをいただきますが」
再思はメニューを見ないで言った。入る前から決めていたようだ。
「私もそれをいただきます。やはりお昼が軽かったのかしら」
「いいえ、もう少しふたりだけで話したかったのです」
再思は目を細くして言った。太い眉毛とはっきりした目鼻だちの顔は父に似ていた。自転車を漕いできたためもあり、赤くなった肌は光っていた体格はかなり大きい方である。裕子より三歳年上であるということだから中年には違いないのだが、医者というものは若く見える人が多く、彼もまだ青年のように感じられた。
「あなたは少し不思議なところがあります。元気でとても明るい面とびっくりするほどなげやりなところがあるからです
真面目な表情で彼は言った。
「違いますか。明るくて素直なところ、僕は好きです。でもとても投げやりなところがありますね。それも気になります
彼は裕子が自分の体を考えないことを責めてた。
「先生」
と裕子は小さく叫ぶように言った。
「死というものが恐ろしいもの、意味穢れあるものと思っているのではありませんか。生きていたくても生きられない人、恐ろしいと言いながら死を待つ人、そんな人がたくさんいるのに、私みたいな人間は許せないとおっしゃるのでしょう」
「そうですね。つきなみな言い方ですがそうです」
「でも、私にとって死は神が与えてくれるものなのです。怖くはありません。私は生かされているのですから、私が死ぬことも神の心だと思っています」
と答えながら裕子はもう一つの理由、中学生の頃から思い続けてきた理由を考えていた。
こどもの頃から裕子は自分以外の人間のために存在しているのだと感じてきた。
美しい姉と可愛い容貌の妹たちの間で裕子だけは平凡な、
いや普通以下の容姿をもつ人間だった。
父からは疎んじられ、母からは便利な人間だと思われてきた。母が喜びそうなことは何でもしてきた。
彼女はそんな中で三歳頃から見せ始めた記憶力の強さを生かし勉強をする能力を伸ばしていった。
教師になって二十年が過ぎようとした昨年、心臓に異常があることが分かった時、自分が心臓病で死ぬのだと思った瞬間ホッとしたものだ。もう私を必要とする人間はまわりに少なくなっている。他人に迷惑をかけず近い将来に死ぬことができると思った。その時裕子には彼女が生んだ子が存在することが思い浮かばなかった。
「先生、私は自分が人生の全盛時代に死にたいのです。これは私の見栄でしょうね」
「命をそんな風に考えたら罰があたります」
「そうおっしゃるだろうと思いました。でも、神が許した時でないと死ぬことはできないだろうとは思っています」
裕子がそう言ったことで少しは安心したのか再思は
「裕子さん、今度は五月か六月に中国へいらっしゃいませんか。悠久の中国をあなたは知らないでしょう。病気のほうもチェックしてあげましょう」
と言った。
その年、五月の末に裕子はふたたび中国を訪れた。今度は
一人旅であった。
空港に出迎えた再思は裕子を歓迎するように両腕を大きく
開いて近づいてきた。
「よくいらつしやいました。からだの方は大丈夫ですか」
再思はまず裕子の健康を気ずかつてから、
「東京ではお世話になりました」
と言って裕子の荷物を持ち、歩き始めた。
彼の車は運転者つきだった。
「まだ私たちの国では個人の車はありません。でもきょうは特別な人をお迎えするので病院の車できました」
再思は中国の経済はこれから発展するところであると言った。たしかに前回裕子がきた時と街の様子は少しも変わってはいない。
「まず明日は大学病院で検査をさせてください。午後から頤
和?に案内しましょう。前回は行っていませんね」
「はい、お願いします。先生、きょうはこれから病院に戻られるのですか」
「いちど戻ります。あなたをホテルへ送ってからです」
再思はそう言うと腕時計を見てから
「六時にはホテルに行きますので夕食をご一緒しましょう」
と言った。
ホテルは天安門のすぐそばの北京坂店であった。裕子は懐かしさが胸に込み上げてきた。
前回はホテルの指定がされていたのでここを訪れることもできなかったのだ。
「こどものころ父が連れてきてくれました」
「懐かしいでしょう。変わっていませんか」
再思は彼が裕子の家にきたときに話題となったホテルを予約していてくれたのだ。再思の気持ちの温かさに、裕子はさらに胸が熱くなった。中国人というのは他人に尽くす人たちであると父が言っていたことを思い出していた。
夕食を誘いにきた再思はホテルの食堂がいいですと言って
裕子を二階にあるレストランに案内をした。
食事は中華料理だったが、肉を好まない裕子のために、魚介類の料理が予約されていた。
「中国の味ってこれでしたかしら。なんだか思い出せないわ
「中国は広いですから東西南北で料理も味も違います。近頃は北京料理ばかりです。味が悪いですか」
「そんなことありません。おいしいですよ。でも私子供の頃
はクーリー(労働者)が食べるものが好きでしたから」
ショウピン、タ−ピン、マントウ、ピンゴ−ル、タンホ−ル、アベブー、ジャージャー麺麺などの名をあげた。再思は笑って、こどもはみんなそんな飲茶が好きなものですと言った。
「先生、話は変わりますけれど、先生は東京へいらした時に私のことをよく聞かれましたが、今度は先生のことを話して
くださいね」
と何気なく言う裕子を見て再思の表情は暗くなった。
「息子は十年前に亡くなりました。妻は今健康を害して入院しています。私の両親は亡くなりました」
と言った。
裕子は再思にとって辛い話をさせてしまったと後悔した。
「ごめんなさい。よけいなことを言いました」
「いえ、そんなに気にしないでください。過ぎたことです。家内は永いこと患っているのです。心の病気です」
再思は家族のことを簡単に話したが、戦後の新しい中国で親日派の人々がどのような生き方をしたのかが分かる思いがした
父が亡くなる前に中国を訪れ再思の父の徐先生を訪ねたことがあったが、彼は中国から戻ると、
「驚きましたねえ、あれだけの先生が二DKの粗末なアパ−トに住んでいらしたよ。医者ではあるんだが、院長でも学長でもなかった」
と話したことがあった。
翌日、裕子は迎えに来た車で大学病院に行った。一通りの検査が終った後、ドクター再思の診察があった。
「たいへんな徐脈ですねえ。マラソンの選手などが運動を止めたあとなどに見られることがありますが、ハ−ドな運動を
続けていましたか」
と尋ねられた裕子は自分が剣道や水泳、テニスなどかなり
激しい運動をしていることを話した。一日ホルターをつけた時にテニスをしている最中、通常の人の数倍の間呼吸が止まっていることがあると裕子の主治医が言っていた。
「ストレスからでもあるのでしょうねえ。あなたの大きなストレスとは何ですか」
ドクター再思は「まずそのストレスを取り去らなければ」と言った。
「それは運命的なストレスなので言うことはできません」
裕子は心の中で言った。
「私はこの世に生まれてはいけない人間だったのです」
小さい声で言った。
「何ですか。それはどういう事ですか」
再思は不思議そうに尋ねた。
「いえ、別に。なんでもありません。聞こえなかったことにしてください」
「何か辛いことを持って生きてこられたのですか」
再思は裕子のことを放ってはおけないように言った。
「先生のお顔には父の面影が感じられるのです」
再思は裕子を見つめた。
「おとうさん、ですか。イワンシェンションが原因なのですか」
再思は不思議そうな顔をした。
「ごめんなさい。父は中国のラストエンペラー溥儀皇帝に似ています。それだけの意味ですから」
そんな言葉で理解できる筈はなかった。裕子は溥儀皇帝の
運命の上に父の人生を重ねていた。どんなに尽くしても本当の価値を理解されることはなかった彼等の人生。
「あなたにとってお父さんは特別な人だったのですねえ」
再思は裕子の闇を理解できないまま、それだけを言った。
「さあこれからいわえんに案内しましょう。気分が良くなりますよ。少し待っていてくださいね」
と診察室を出て行った。
再び裕子の前に現れた再思は白衣を脱ぎラフな服装であった。いわえん迄は昨日の車で行き、中で昼食をとることになっていると言った。
北京大学病院からいわえんまではそんなに遠くはなかった。
建設中の大きな公園を迂回するように走っていわえんの駐車場へ車をいれた。
そこはただ大きな湖とシンプルで大きな建物があるだけのように感じた。西太后が別荘として使っていたというが、美しさを実感するには大きすぎた。だが、湖に浮かぶ大きな白い船の中に入った裕子は思わず目を見張った。
それこそ戦前の中国に見られていた大人の贅沢が残されていたのだ。
「こちらで食事をすることにしています。少し待っていましょう」
再思はそう言うと、ひとつの部屋の前に行き豪華な彫刻と刺繍で飾られた椅子に腰を下ろすよう裕子に勧めた。
「楊貴妃か西太后にでもなった気分です。自分に膝まづく者に何か命令したくなります」
「なんなりと承りましょう」
裕子の言葉に再思が即座に答えた。
ここで何か言葉を返そうと裕子が息を飲んだとき「こちらへどうぞ」と言いながら、ひとりの男が姿を現した。
二人は男について長い廊下を進んでいった。男はひとつの部屋の扉を開け「どうぞ」と二人を招き入れた。
そこは思いがけずヨーロピアンの家具でインテリアされた
フランス料理を食べる部屋のようであった。
「あいかわらず中国人って驚かすことが好きなんですねえ。
完全な中国文化なのに、あるはずのないヨーロッパが存在するのですね」
「ああ、そうですね。中国人は意外ということを好みます。人を喜ばすことが好きですよ」
再思は満足そうな笑顔で言った。
料理はフランス料理のコースであったが、わりあいシンプルなものであった。やはり裕子の好みに合わせたのか、メインは魚料理の一品だけであった。
「まだまだ中国はこれからです。十年、二十年後には変りますよ。北京だけでもどれだけの湖がありますか。そこを皆公園にしたらもうたくさんの大きな公園ができます。それも美しい公園がです」
再思は誇らしげに言った。
「そうそう、肝心なことを話していませんねえ。あなたの心臓のことです。ひとつだけはっきり言えることは、あなたの心臓はあなたの心臓の強さにかかっているということです」
「それはどういうことですか」
「つまりあなたの心臓は病気の程度でいえばたいへん危険な状態なのです。ですが、普通の心臓では働かない部分が働いて動いているわけです。この機能がいつまで働き続けるのかは分かりません。今日働きを止めるのか、一年、二年後なのかそれ以上働くのか。ドクターでは分からないのです」
「それはその機能だけが知っているってわけですね」
「だからよほど強い心臓だと言えるのでしょう。私にあなたの心臓の管理をさせてください。いよいよという時を伝えましょう」
「急にその時がくるのではないのですか」
「ほうっておけば急にきたことになるでしょう。でも、管理をすれば、時がくるのを防ぐことはできませんができるだけ先に延ばすことができると思います」
裕子は再思の言葉を聞きながら、これまでの主治医と同じ診断であると思った。
「あなたの病気が運命的なストレスからきたことを知って私はあなたの力になれたらと思ったのです」
再思は裕子のストレスが何からくるものかつきとめようとしているかのように言った。
藤堂裕子が生まれる時、妊娠している裕子の母は夫の裏切りで深く傷ついていた。
傷ついている妻にその夫は
「他に愛する女性があり、彼女もまた妊娠している。彼女に出産をあきらめさせるかわりに君も腹の子を始末して欲しい」
と言ったのだった。
妻はこどもを守るために一人船にのり日本へ渡った。
満州生まれの彼女には日本で頼る者もなく、夫の親戚に身を寄せた。そこで裕子が生まれたのだが、夫の恋人がこどもを堕胎したため、夫は妻が子を産んだことを許さなかった。
妻は長女と次に生まれた裕子を抱えて、不慣れな日本での生活に疲れきってしまった。裕子を道連れに死を願った彼女は夫の姉によって助けられた。
夫の姉のとりなしで中国に戻ったものの、それまでのような気持ちで夫と暮らしていくことはできなくなった。
それでも夫婦はその後三人の子を持っている。
しかし裕子は再思にその話をすることはできなかった。父の二つの顔は誰にも語りたくないことだった。
「私のトラウマをお分かりになるのでしょうか。私は二つの顔を持っています。十九年前に子を産みながら家族を持つことができなかった不幸で意気地ない女の顔と、権威、権力に立ち向かい弱者を大切にする強く明るい顔があるのです。そしてその強さの根源には死を迎え入れる心があるのです」
「分かりますよ。それこそあなたがイワンシェンション(原
先生)のこどもだということなのです。シェンションは不幸をエネルギーに強くなる方だったようです。私の父が話していました」
父の不幸とは何だったのか。母と結婚したことであったのか。父は南京で日本兵に銃殺されようとした中国人を助けて
特高に捕まったことがあった。その罰は残酷で父のわきの下には七、八センチの傷跡がある。銃剣の先を心臓の間近まで
差し込んで拷問したという。それも父の不幸であろう。
裕子が父の不幸を考えるように再思は裕子のストレスを見極めたいという。
「私はあなたの心臓とつきあいたくなったのです。そうさせてください。私はたびたび日本へ行きます。その時に会うだけでよいのですから」
と再思は言った。
二人が医者と患者の立場を超えた付き合いを始めてから八年が過ぎたとき、裕子は再思ではない男と結婚した。
結婚の相手は裕子が二十三歳のとき子を生んだ男であった。
川上正親という男だった。
彼はある日突然裕子に電話をかけてきた。
「正則がどうもいかん。三十歳になるというのに自立ができん。なんとか助けてくれ」
三十年ぶりの声だった。年賀状の行き来ぐらいの付き合いであったから、ほんとうに突然であった。
二年前に妻と別れた正親は、裕子との間にできた正則だけを残されたようだった。
正則と二人だけの生活がどんなに大変で将来の見通しがたたぬ毎日が如何に苦しいものかを正親は訴え続けた。
「いまさら無理だわ。仕事だって今は辞めたくないし」
と断った。裕子は雑誌の編集者として二十八年勤めてきた。
二年後には退職して童話を書いて出版したいと考えていた
だが、数日後正親が上京した。彼は地方に住んでいた。
「もしきみが助けてくれないと言うのなら、正則を道連れに死ぬことしか考えられん」
と頭を下げられたとき、裕子は心を決めた。
正則の心の病が、正親と裕子からのトラウマであると聞かされた裕子には、そうすることしかかんがえられなかったのだ。裕子は自分の出生と正則のそれとを考えていた。
裕子の決心を聞いたとき再思は蒼ざめた顔で言った。
「ずいぶん残酷なんですねえ。それで、ほんとうにあなたは
よいのですか。後悔しませんか」
じっと見つめる再思の目に涙が光っていた。
「もう、何を言っても無駄なようですね。考えた結果なのでしょうから。僕が諦めなければいけないのでしょうねえ。でもね、私たちの愛の灯に火をつけたのは僕の方ですが、その火を灯し続けたのは二人ですよ。裕子だけが一方的に消してしまうのですか」
諦めきれないように話す再思の唇は震えていた。
「ごめんなさい。ほんとうにごめんなさい」
裕子はただ繰り返していた。
それから五年後、正親や正則と暮らしている裕子のもとに
小さな小包か届いた。再思からのもので、携帯電話機だった。
その夜再思から久しぶりの電話がかかってきた。
「主治医として業務を放棄していたことを深くお詫びします。
ところで、携帯はつきましたね。これからは電話で診察しますから。国際契約もしていますので、中国へも通話ができます。もちろん僕から定期的にしますけれど」
他人行儀な口調だが再思の気持ちは良く分かった。
「どうしてこんなことなさるのですか」
そう言った後から裕子の胸は熱くなった。
「私がいちばん辛い時に、なぜそんな優しいことをするのかしら。胸が張裂けそうよ」
感情を抑えることができず、裕子は涙で声がつまった。
「いちばん辛いのに。何もかも捨てて東京へ帰りたいと思っていたところだったの」
正親と正則の世話で疲れ切った裕子は思考力を無くしていたのだった。
「ストレスはいけませんよ。冷静になってね。僕はいつでも裕子の体を診ているんだよ。心配しないで、いつでも僕のところへ戻っておいで」
再思の言葉にとうとう裕子は受話器を胸にあてたまま電話を切ってしまった。
それからの二人は携帯のメールで愛情を確かめ合ってきた。
五年後、裕子は還暦を迎えた。
東京に住む姉妹や甥、姪たちが還暦パーティーを開いてくれた。裕子が会場のホテルに着くと、再思がきていたのだ。
「ちょうど日本に来ていてね。忍さんが誘ってくれたんだよ」
元気そうな再思はそう言って裕子を抱きしめた。
八年ぶりの再会に、裕子は時を超え再思の胸に埋もれた。
会の進行を勤める甥の智之が
「さあ、待望のダンスタイムですよ。明日から裕子叔母さんは生まれ変わって一歳の赤ん坊です。今までのように僕達を
守ってくれるのではなくて、僕達におぶさってくるそうです。
今日が大人の叔母さんの最後の日です。叔母さんと踊りましょう」
と言うと、みなそれぞれにパートナーを組んで踊り始めた。
チェンジんグパートナーの曲がかかると、甥たちが交代で裕子の相手を務めて踊った。
しばらくして智之の声がした。
「宴もたけなわですが、この曲で最後になります。ラストダンスを裕子叔母さんと踊るのは誰ですか」
おどけた調子で智之が言ったとき、一瞬静まった会場の中ほどに大きな腕が高く上がり、大きな体の再思が転がるように飛び出した。
さらいあげるように裕子を真ん中につれだすと踊り始めた
曲はゆっくりとした曲でブルースのステップで踊れるものだった。ぎこちないステップを踏みながら再思が耳元で言った。
「もう放さない。あっちには戻れないからね」
強く抱きしめる再思の息は熱く、言葉が彼の本心であることが分かった。
裕子も、もういいわと思った。どうなってもいい。何もかも現実を捨ててしまいたいと思った。
だがそれはほんの一瞬だけのことだった。
次の瞬間裕子は埋もれていた再思の胸の中から頭を離し、
胸を逸らせて再思の体を突き放した。
「ごめんなさい」
小さく叫ぶように言うと、裕子はドアーに向かって走った
ちょうどフロアーの照明が暗くなり、青い光が閃光のように鋭く人々を照らしていた。
そして二年間、二人はパソコンによるメールの交換をしてきた。ときどきふたりは、大阪や京都で逢うようにした。肉体関係のないプラトニックな愛を大切にしてきた。
一度だけ、裕子が住む鳥取県に再思が訪ねたことがあった。
再思は鳥取の環境に感激した。
「ここはほんとうに素晴らしいところです。海、山、川、砂
緑、空、風や潮の香り、全てが本物です。本物を実感できる
ところですねえ。手の中に自然が入ってしまう。自然のすべてを抱き取れるという感じです」
とひどく感動したようだった。
たしかに、中国では自然というものが遠すぎる。広大すぎるのだ。揚子江はどうみても川とは思えないほど大きいし、
黄河は砂漠のような絶望的砂地の中を水が動きを止めているようにしか感じられない。
「裕子。あなたが僕を選ばないのは、この自然のせいなんだね。きみはここにある自然の全てを愛しているのだろうね」
再思の国と比べれば、日本は箱庭みたいなものだ。だが、彼が言うように自然がもつ美しさが間近に感じられる。
「僕の愛なんて、この自然がライバルだとしたら、とうてい
及ばないのだね」
彼は独り言のように言った。
二人は真っ赤な陽が沈んでいくサンセットの風景の中で、
肩を寄せ合い砂浜に座って黙って海を見つめていた。
再思の胸の中には、裕子を中国へ連れて行くということを諦めなければならないのだという思いが生まれていたのかもしれない。
その後二人の関係は携帯電話によるメールの交換だけで続いた。逢うことができないだけに、裕子はときどきの思いを
自由に再思にぶつけることができた。
再思が日本に来ているときは、絵文字を使って思いを伝えた。涙のマークがいくつも続くことがあった。そんな時再思は「そんなに泣くくらいならなぜ僕を捨てたの。自分が選んだ道でしょう。頑張らなければ」と伝えてきた。
「頑張るって何を頑張らなければいけないの。私も病気なのに。もういや、今すぐ迎えに来て」
「それ、本心なのかい。すぐに迎にいってもいいのかい」
「待って。やっぱり待って」
こんなメールで裕子はこれまで結婚生活から逃げ出すことを耐えてきた。
今はパソコンと携帯でメールの交換をしている。
数日前、再思からメールが届いていた。
「そろそろ逢いませんか。心臓のチェックをしましょう。一ヶ月後のきょうはだめでしょうか」
再思が鳥取に来てから二人は逢うことを避けてきた。
「もうここまで生きたのだから十分だわ。これからはメール交換だけにしましょうか。逢わなくてもだいじょうぶ」
「そう?淋しいけれどねえ。でも裕子さんは忙しそうだからあまり負担にならないように。メールで我慢しましょう」
再思はそう言いながらもあれから数回は日本へ来ていた。そして裕子と逢っていた。
裕子は再思のメールに早速応えて言った。
「けっこうよ。私も逢いたい」
五月二十九日に鳥取を発った裕子は東京経由で北京へ向かった。二十年ぶりの中国である。夕方成田を発った飛行機は
夜になって北京空港に着いた。迎にきていた再思は裕子を見つけるといつものように腕を広げて裕子を抱き寄せた。
「よく来たね。来ないかと心配していたよ。ありがとう」
裕子は再思の胸の中で、もう後戻りはできないと思った。
来てしまったのだ。
これまでは再思が日本に来ていた。彼は仕事できていたのだ。そのついでに逢っていた。裕子の心臓をチェックするという口実もあった。今度は裕子が再思に逢いにきたのだ。これは重大な意味を持っている筈である。
「二十年ぶりだわ。変ったわねえ。ほんとに変ってしまったのねえ」
時は流れてあらゆるものを変えていくというのに、再思の愛が変らず裕子を迎えてくれたことに、彼女は感動していたのだ。この愛に応えなければならないと思った。
車窓を流れる光の波。原色のネオンは日本とあまり変らない。黒く立ちはだかる大きな建物。車のライト。テールランプが大きく滲む。
「変るって言ったでしょう。でも、まだまだこれからだよ。
今はまだホテルや政府の建物が多いんだよ。経済、文化はもっと発展するよ」
「観光に力をいれているのかしら。昔あなたが言っていた公園の建設はすすんだのかしら」
「公園は沢山できているけれど、中国人はあまり楽しむゆとりがないと思うよ。でも観光ももうひとつというところだな
ホテルも韓国のほうがすごいと思うし、観光施設は日本とは比べ物にならないでしょう。天安門にしても故宮も、裕子と出会った万里の長城にしても、ヨーロッパの人たちでも日本の東大寺や金閣寺の方を好むだろうから」
「一人っ子政策というのはどうなの」
「いちばん問題のことだろうね。こどもが少なすぎて、老後
の暮らしが心配になっている。僕だってこれからどうなるのかと思うよ。今はまだ国の施設とかありますけれどね」
そんな話になってしまった二人は気がつくと車はホテルの玄関に到着していたので驚いた。
ホテルは北京坂店であった。裕子が二度目に来たときのホテルである。
「夕食が遅くなると思って、ルームサービスを頼んでおいたんだよ」
部屋に入るとすでにテーブルのうえにはいくつかの料理が
並べられていた。
「このホテルも綺麗になったのね。懐かしいわ。夢のようね。
あなたと二十年もお付き合いするなんて、あのときは考えなかったわ」
「僕は違うね。予感がしたんだ。命を粗末にする人をこの世に繋ぎとめておきたいと思った」
「あら、ただそれだけだったの。医者としての興味だけ」
「自分でもこんなに思いをこめる人に出会えるなんて考えていなかったよ。こんなに愛しい人に出逢えたなんて」
再思は優しく裕子を抱き寄せた。裕子はダンスのパートナーに吸い寄せられポジションに着くときのように軽く再思に抱かれた。心地よく彼の胸の中に抱擁された後、再思の熱い口付けに応えていった。
再思の抱擁と口付けを受けながら裕子は感じ取ることができなかった父の体臭を探していた。しかし、知らないものを再現することはできない。父の胸を裕子はまったく知らなかったのだ。
「僕は男だよ。愛し合う男だ。裕子の父ではない」
唇を離した再思はそう言うと、裕子の体を乱暴に抱き上げ
ベッドに下ろした。
再思の熱い体が重ねられ、裕子は初めて男を実感した。
「裕子の場合はね、ファザーコンプレックスというのだよ。享けるべきときにおとうさんの愛情を受けられなかった人に多く見られることなんだ」
再思は裕子の体を愛撫しながら優しく言った。
「僕が預かった命がこんなにも長く生きてくれたんだから」
裕子はようやく父から卒業したのだと実感した。
「今夜は一緒に泊まることにしているけれど、いいんだね」
小さく頷く裕子の体を再思はもう一度強く抱きしめた。
「もう、離れなくてもいいんだね。日本へは戻さないからね」
という声を聞きながら裕子は浅い眠りに入ったようだ。
夢をみていた。
夫の正親と正則が海岸で戯れていた。後ろの方の砂浜に日傘をさして腰を下ろしているのは裕子ではない。裕子はその女性の姿を見ていた。
なぜ、私と正則の間に知らない女がいるの。
裕子は目が覚めて、隣にいる再思を見た。再思は穏やかな目で裕子を見ていた。
「眠ったね。疲れたかい」
すべてを労わるような再思の声に、裕子の胸に切ないものが込み上げてきた。
「夢をみたわ」
「どんな夢」
「話したくない」
「辛い夢だったんだね。忘れてしまうといいよ」
二人は食事も忘れて抱き合ったまま深い眠りについた。
翌日二人は一緒に病院へ行った。
診察が終って、裕子の体が緊急を要することがないと分かった帰り、車の中で再思が言った。
「これから昼食をして、終ったら僕の家に来て欲しい。親戚や友人に君を婚約者として紹介したいんだ。そうした方がいいと思うから」
再思は、妻が三十年の入院生活を送り五年前に亡くなった
ことを話した。
「僕は独りになってしまったのだから、みんなも分かってくれると思う」
「でも、私は違うわ」
裕子は苦しそうに言った。
「日本に、私を待っている人たちがいるのですもの」
「もう、きみは十分なことをしたんだよ。もういいじゃないか。僕はそう思う。それより、僕だって裕子をどうしても必要なんだから」
「私は病気があるわ。いつ死ぬかわからないのよ」
「分かっているよ。二十年前からね」
「ごめんなさい。ほんとうにごめんなさい」
裕子は同じ言葉を何度言うのだろうと思いながら言った。
「もう少しだけ時間をちょうだい。ね、もう一度だけ考えさせてほしいの」
再思は暗い顔をして黙っていた。
それからの二日間はふたりとも外出をせず、ホテルの中で過ごした。買い物も食事もホテルの中で済ませた。そのほかの時間は読書をしたりテレビを見て過ごしたが、裕子にとっては幸せな四日間だった。
日本へ帰る裕子を送ってきた再思は
「メールだけは忘れずにな。毎日見てくれよ。それから、童話ができたら全部送信して欲しいんだ。裕子のメッセージだと思って読むよ。そしてね、時間がたったら、良い返事が来ることを待っているからね」
言い終わると再思は大きな手を差し出した。握手を求めた
再思の手を握って裕子は驚いた。
「冷たい手。どうしたの」
「冷たいだろう。心が燃え上がっていて、体中の熱を使って
いるんだよ」
そう言って再思は裕子を抱きしめると、そのまま向きを変え背中を軽く押して言った。
「ツアイツェン」
裕子の目から涙が溢れた。泣きながら空港のロビーを歩いた。
中国から戻って二度目のメールが届いた。
「ちょっとしたお知らせです。僕は病院を今年いっぱいで退職します。田舎の診療所でしばらく働き、それから医者も辞めます。そうしたら日本へ行って裕子と暮らせるでしょうか
政府の許可がいりますが、頑張ってみますね」
裕子は再思のメールに送信した。
「ごめんなさい。あなたはいつも私のことを考えてくださるのですね。ありがとう。でも、私は長い間あなたに命を守られてきたのに、あなたのもとへはいかれないのです。つねに
私は自分の将来を、残り一年、あと一年と思って生きています。そんな大切な命です。自分だけのためにつかいたくないのです。私を必要とする人たちの優先順位では、あなたは一番ではないのです。ほんとうにごめんなさい」
そのメールに対する返信は届かなかった。
三度目のメールはしばらくして届いた。裕子は三度目のメールを一日遅れて読んだ。
「前回話すことができませんでしたが、今度は僕が心臓を悪くしました。心筋梗塞です。生き延びる治療は断りました。
もうすぐ神に召されるでしょう。裕子に会えて素晴らしかった。ありがとう」
再思からの最後のメールであった。彼はその日の夕方に亡くなっている。再思からのラストメール。一足先に行ってしまった最愛の人との思い出がひとこまひとこま、アルバムを
繰るように裕子の脳裏に浮かんでは流れていった。